新連載「モチーフから見る宝石彫刻」を2月からスタートしました。今回以降は3回に分けて、ヘレニズム後期から紀元1世紀におけるカメオのモチーフについてお話しいたします。
(番組ガイド誌「GSTV FAN」2023年6月号掲載記事をWEB用に再編集しております)
宝物としての巨大なメノウカメオ(ヘレニズム後期~紀元1世紀)
ギリシャ世界はかつてないほどに拡大し、活発な交易・経済活動によって一般市民の生活も豊かになっていったヘレニズムの時代、宝石彫刻のモチーフは宗教的なもの、つまり神々や女神、神話などでした。第2回でご説明した通り、カメオ彫刻が始まったこの時代、非常に小さいサイズのものが主流でした。しかし一方で、王の宝物として作られた20cmを超える非常に大きく、豪華で美しいカメオが存在します。それらは「世界三大カメオ」と呼ばれ、現在でもヨーロッパの博物館で実物を見ることができます。今回は、この世界三大カメオについてお話を進めます。
紀元前4世紀のアレクサンダー大王の時代以後、エジプトのプトレマイオス朝に代表されるように北アフリカや西アジアにいくつかの王朝が誕生しました。これらの王朝はアレクサンダー大王亡き後、自身の覇権とその正当性を示すためにカメオを巧みに用いたと考えられています。カメオは、コインなどと同様に意思表示を伝える手段として有効であり、非常に豪華で高価なものでした。当時、多層メノウ原石は希少性が高く、大きな原石は特に入手が困難でした。素材としての希少性と、カメオ彫刻という限られた特権階級の持つ彫刻技術という両側面から富と教養の象徴であり、王の自己顕示と権力誇示にはうってつけだったのでしょう。
世界三大カメオ『タッツァ・ファルネーゼ』
世界三大カメオは、その歴史的価値と大きさ、美しさから他に類をみないカメオであると言えます。
① タッツァ・ファルネーゼ(紀元前1世紀頃、ナポリ国立考古博物館所蔵、20cm)
② ゲマ・アウグステア(紀元10年頃、ウィーン美術史美術館所蔵、19x23cm)
③ フランスの大カメオ(紀元24年頃、パリ国立図書館所蔵、31x26.5cm)
タッツァ・ファルネーゼは直径約20cmの深い皿の形状をしたカメオで、内側外側の両面から彫刻されている非常に珍しいカメオです。1471年にメディチ家が入手し、その後名前の由来となるファルネーゼ家の所有となり、現在は、ナポリ国立考古学博物館に大切に展示されています。赤色とも褐色とも言い難い柔らかな色調の中に波をうった美しい縞模様があり、皿状の立体的な縞メノウに両面異なるモチーフが彫刻されています。
内側には、上を見ながら大股で前に進む神々しい若者が表現されています。鍬を最初に発明したトリプトレモスもしくはホルス(古代エジプトの天空の神)で、肩に種を包んだ布を担ぎ、右手には鋤を持っています。イシス(古代エジプトの豊穣の女神)かデメテル(ギリシャ神話の豊穣の女神)と思われる女性は、胸に衣装を丸めて結び、豊穣の象徴である二つの穂先を右手に持っています。これらは毎年エジプトに氾濫と豊穣をもたらすナイル川の様子を神々とともに描かれており、エジプトの新年を表現しているものと考えられます。
内側は複数の神が彫刻され物語になっているのに対し、外側はメドゥーサの顔がダイナミックに彫刻されています。メドゥーサはギリシャ神話に登場する魔女のゴルゴーン3姉妹の1人で、髪が蛇で、その目を見た者を石に変えてしまうと言われています。
タッツァ・ファルネーゼは、両側に異なるモチーフが彫刻されている特殊性とモチーフの稀有さに加えて、美しさにおいても一見の価値があります。一番薄い部分は、数mmから数十mmと推測でき、差し込む光の加減によって色合いと表情が変幻するのです。ナポリ国立考古学博物館では、360度ガラス張りのショーケースに展示されており、前回訪問した際は、ショーケースの周りをぐるぐると回り、様々な角度から彫刻の細部を見させていただきました。
※本作品についてはモチーフの解釈と制作年に関して所説あるため、本稿ではカメオ彫刻家であり宝石彫刻研究の第一人者であるゲルハルド・シュミット氏の古代カメオ研究論文に基づいて解説しております。
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