条件から絞り込む

シリーズから探す
カテゴリから探す
宝石から探す

レポート

【近山晶コレクション見聞】大久保洋子さん・絵弥さんインタビュー<完全版>

2023年3月4日

「鉱物や宝石を愛する人々のために」

編) お二人から、近山先生について印象に残っているエピソードがあればお伺いしたいです。

洋) 父が研究熱心だったのは、鉱物や宝石を愛する日本の方々に正しい知識を得て欲しいという思いがあったから。だから自分自身の目で鉱山を視察し、正確な情報を業界に発信していました。亡くなるまでその姿勢は変わらず、研鑽の日々でした。
父は宝石学普及に努めていた当時、宝石用顕微鏡を企業と共同開発しています。当時は宝石学が今ほど発展しておらず、顕微鏡で内包物〈インクルージョン〉を発見することが宝石の特定条件であり重要な手掛かりになっていました。
「宝石は科学である」という信念のもと、顕微鏡の使い方をはじめ、宝石を見極めるための大変に厳しい学問を習得する「近山ゼミ」を全国各地で開催して、多忙な時期を送っていたことを思い出します。
またアメリカ・ツーソンへは毎年2月に必ず出かけていました。世界中からの新しい情報を得て、1年ぶりに会う方々との知識の共有や、珍しい石の購入は非常に有意義な人生のひとときだったと思います。無駄なく有効に時間を使っていました。
今も心の財産として数々の言葉(※)が脳裏をかすめます。
父は世界中を歩き回って、航空地図に自分の足跡を全て綿密に記入したり、イラストや地図を自ら書いたり、世界に類を見ない宝飾宝石事典を70歳で作成。その情熱には驚かされました。

近山先生の言葉

  • 情報と整理
  • 六十歳はまだまだ
  • その日のうちにその日のことはやり遂げる
  • 人間は究極におかれなくてはいけない、それが次のステップになる

絵) 本当にすごい!私が宝石業界に携わるようになって感じるのは宝石の持つ神秘、そして宝石学の奥深さです。祖父の時代は、携帯電話がなく今よりずっと情報を得にくい上、海外へ気軽に行くこともできませんでした。そんなとき積極的に海外に出向き見聞を広め、自ら得た情報を国際会議で発表し、国内の業者や生徒に教えたのですから、たゆまぬ研鑽の姿勢には感動します。

洋)アメリカ・ツーソンでの思い出の一コマですが、夜中2時まで仕事をして、2時間後の早朝4時に出発しなければいけない、それに対して「人間は究極にならないといけない」というタイプでした。東京に帰って4時間寝たら「4時間も眠れた」と考える人なのです。無駄が嫌いで効率がよいというのでしょうか。中国の石を調べるとき、字がわからないと中国語のとても分厚い辞書を出してきて「これで調べなさい」というタイプでしたね。

絵) 思い出されるのは、亡くなる3か月前のこと。6月に開催された新宿のミネラルショーでラピスラズリを販売しているアフガニスタンの業者のブースを見て、自分のコレクションの中にも多数のラピスラズリがあるにもかかわらず、生徒さんのために良質の石を選んで教材に使いたいと購入していたことです。

洋)父のコレクションをご覧になった方から「お手伝いされたのですか?」と聞かれるのですが、父は家族にも手伝わせることはありませんでした。「なんでも自分でやる、自分でやってしまったほうが早い」って。そういう人なのです。全てのことを正確にきちんと綿密にしたい人でした。頭の中が非常に緻密だったと思います。

次のページへ >

-レポート
-