「麗しの宝石ショッピング」「ジュエリーライフ11」でお馴染みの人気コメンテーター「目黒佐枝」がジュエリーの様式とその歴史を解説。今回は、インド更紗紋様「日本文化の再発見」についてご紹介します。
(番組ガイド誌「GSTV FAN」2020年12月号掲載記事をWEB用に再編集しております)
日本の伝統紋様
更紗柄と呼ばれる紋様は、日本の伝統紋様として認識されています。着物の帯柄や、茶道で使う数寄屋袋や小帛紗、仕覆でも見ますよね。眺めていると、どこか異国情緒が感じられます。今回はこの図案の源流を紐解いてみたいと思います。
更紗※とは、木綿の生地に図案染色が施された布のことを言います。綿花はインドやエジプトが原産で、インダス川流域の遺跡からは青銅針や機織り機が発見されており、驚くことに5000 年も前から染法、機織り、刺繍を確立していたことが分かります。
更紗紋様は、主にヒンドゥー教のイデオロギー(信条・思想)がデザインになっているというのが興味深いです。とは言っても、インドで仏教が全盛の頃は唐草やメダイヨン(円盤状)、ヒンドゥー教が全盛の頃は諸神や神話、イスラム全盛の頃は生命の木、幾何学、とデザインが多岐に渡って混ざっていると言えます。
日本では、8世紀頃の正倉院の宝物品の紋様が、ササン朝ペルシャの柄から唐草、鳳凰、幾何学を始めとして、インド更紗の紋様と確実に重なっています。シルクロードの東の最終地である日本から見ると、図柄としては多国文化が融合しているのがよく分かりますね。
※更紗
「更紗」の当て字は多岐に渡る。語源には諸説あるが、インド、ベンガル湾の一部の地域で作られた“ろう防染品”がタミル語で「サラサ」と名付けられ、これがオランダやポルトガルの極東航海の商船と共にジャワ島経由で日本に伝わった説が有力。
インド更紗
インド更紗が本格的な貿易品として日本に入るのは江戸時代になってからです。武士の陣羽織や刀袋に使われましたし、江戸の町人も袖や裾からチラリと見せることや、懐紙入れやたばこ入れの袋物に使い、各自色使いや柄の趣味を競っていたそうです。
また、更紗は反物の幅ではなかったため、着物にはパッチワーク状にして仕立てていました。それが後に“裂取り” と呼ばれる和服の模様構成に発展しています。
インド風ジュエリー
そこで私は、江戸の町人を気取りつつ、頭部にインド風ジュエリーを使い、折衷主義で真似てみました。江戸でこの装いでしたら、“かぶき者”に見られたでしょうか。